蜘蛛の糸7 [考察]

ここではない何処かを探し続けて特別な何かを求め続けていた時より、私は普段の暮らしに幸せを感じられるようになっていた。
私は大勢の中の一人で、多くの人が感じたり考えたりする事を感じ考えている。私の思う事は多くの人が思う事だろう。その思いを私は言葉にすることができるだろう。メロディに乗せることができるだろう。歓びを持って飽きもせず、言葉を拾い集めて磨いて並べて…。

そうして形になったものを「歌いたい」と言ってくださる方が増えてきた。

一本の幽かな糸は撚り合わされ、それなりの強さを持つようになっていた。
風のままに繋いできた糸の行く先は、光を受けてキラキラと輝く蜘蛛の巣の如くになっていた。もちろん、人と会えばそれなりの摩擦もあり、時に途切れる糸もある。切る糸があれば切られる糸もある。己の至らなさを反省する事もあれば、もっと早期に冷徹に対処すれば良かったかもと思う事もある。捨てる事も、時には怜悧に切り捨てる事も必要なのだ。痛いのは一瞬のこと。筋肉は傷ついてから強くなる。傷は再びくっつく。薄っすらとした線を遺して。

全ては経験だ。
それでいいのだ。

一本の糸から始まって十年余。己の努力で出来る事はしてきた。それで二次三次の繋がりになる人もいれば、それでも「六次の隔たり」のはるか向こう側に行く人だっている。今も昔も。

出会いも別れも起こるべくして起こる。
それでいいのだ。

歌いたいという思いだけで歩き出した私。
バンド活動をしてみたい。
プロになりたい。
自分を形にしたい。CDを作りたい。世界中どこにでも堂々と出せる音で。
一つずつ叶えて、少しずつ変わってきた。

そして今思うこと。

日々を愛おしんで楽しく暮らしたい。
何でもやってみよう。出来ること出来ないこと、どちらも面白く感じる自分が嬉しい。

上手くいくことだけをチャンスと呼ぶのではない。目の前の出会いをそう呼ぶ。そして自分にとっての善悪は、皮膚感覚で判断すればいい。基準は自分自身にある。
ありのままに生きるとは、自分を受け入れ、律し優しくして、自分を大切にして生きるということだ。だらしない自分を人に認めさせる事ではない。(どうも、そう解釈している人が多いようだけれど)

そしてまた新しい朝が始まる。今日もありがとう。

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