どうなりたいか? [発想の転換]

『西遊記』で有名な玄奘三蔵法師は、実際には単独で旅を続けていたというのは有名な話。
ずば抜けた知性と体力と根性と、そして御仏の教えを得るのだという確固とした信念がおありだったのでしょう。無事に目的地に到達し、沢山の経典を持ち帰られました。

「こうなりたい」とか「あれを手に入れたい」とか、若い頃は特に自分の外にあるものが欲求の対象になりがちです。「このままの自分が好き」とはなかなか言えない。「あれがあれば」「これが私のものならば」等々、所謂ないものねだりをしているうちは、食べながら飢えていくようなものです。
その上、自分が持っているものには有り難みも感じない。なのに他人が手を伸ばしたら不機嫌になる。

人というのは難儀な生き物だ。

「どうなりたいか」より「どうありたいか」と思考するのはいかがでしょう。
夢のありかは遠くにあって、素晴らしい理想の自分がそこに立っているのではなく、ここにいる私を私の手で、その場に相応しい自分に「育て」ながら「磨き」ながら「連れて行く」。

それはもしかしたら、何より面白いゲームなのかも知れません。

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