数日あれば [癌と経過]

 春になれば、娘の住むヨーローッパを旅するつもりだった。見たい彫刻があった。触れたい景色があった。パスポートが切れていないか確認し、4月にするかそれとも5月にしようか、どのくらい滞在しようか。考えるのは楽しい時間だった。
でも生身の体は機械のようにはいかない。修理が終われば即元通りというわけにはいかないのだ。手術と治療になれば今年の長旅は無理だろう。良くなったら、体調が戻ったらまたいつか・・。
 そして、旅はいつ来るともわからない先に持ち越されてしまった。


 でも、具体的に進んでもいなかった「春になれば」と、溜息まじりの嘲笑にも似た「いつか」の話の違いはどこにあるというのか。具体的に何の動きもないまだ来ない先の話という意味では、どちらも大差ないのだ。
 入院そして手術。その後に続く一連の治療スケジュール。「いつか」ではない現実が突き付けられている今、その日までの毎日がクリアになった。普段なら何気なく予定を書き込むだけの壁掛けカレンダーの枡が、厚みを伴う時間という板になった気がした。

 何かしなくては。ここに刻印せねば。

 全身の精密検査はけっこう堪えるかも知れない。検査の翌日は休息日としよう。手術はこの日だから、前日には入院手続きのはず。
 そんな風に日にちを絞っていくと、入院前に数日の空白が生まれた。何をしてもいい自由時間が可視化した。
私はパソコンを開いた。
 これだけあれば、欧州旅行は無理でも国内なら大丈夫だ。手術後は温泉は無理だし、今のうちに外湯めぐりもいいかもしれない。それならと、九州の温泉地帯を巡るプランを先ず考えた。音楽の盛んな福岡を経由して戻るのはどうだろう。
 ところが、何せ予約するにも直前。スケジュールは強硬。移動距離も思ったより長く、いろいろと組み合わせを変えてもうまくいかない。
 これはダメ出しをされているのか?と思い始めた時に、ふと台湾の情報が飛び込んできた。日程は十分。ただし、ツアーはどれも締め切られた後。当たり前と言えば当たり前だろう。これはもう、個人旅行で行くしかないか。言葉もわからず、思い付きでいく個人旅行。果たして無事に行けるのか、そして期日までにちゃんと帰ってこれるのか?こんな状態では気を遣わせるに違いないので、友人を誘うわけにもいかない。そもそも私のフットワークの軽さは折り紙付きで、普段ですら付き合いきれないのに、こんな直前の誘いに乗ってくれる友人は皆無だろう。
 そんなこんなで「行く!」とは決めたものの、次の一歩が出ないままパソコンの前でフリーズする私。
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