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ピンクリボンマルシェ2022 [癌と経過]

前回の投稿でご紹介したピンクリボンマルシェに参加してきました。
慶應義塾大学のすぐ近く、弘法寺で行われました。
イベントに声をかけてくれた友人達と、旧図書館の喫茶店で待ち合わせ、話し込んで入り時間に遅れないように携帯にタイマーをセットw

会場に入るとすぐさま着替えて、自分の名札をつけてあるウィッグの箱を探します。蓋を開けると…

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なかなかの衝撃(笑)
とてもカツラとは思えない。もしかしたら、この下にワタシの顔がくっついているんじゃぁないかと思うくらい。

アデランスのスタッフさんの手を借りてセットしていただき、すぐにランウェイのゲネプロが始まります。

前半ランウェイは一般の部、後半はサバイバーの部です。前半は多くがモデルやらビューティーコンテストに出場した経験のある方!レッドカーペットの上でターンしたり、スカートをひらひらさせたり、それは華やかでした。

出演者それぞれの1分スピーチでは、CDを使った経緯をお話ししました。また、ウィッグがとても軽くて、体力の落ちる治療中でも体に負担なく付けられそうだとご紹介。

たくさんの美容グッズをお土産にいただき、今回のイベントに誘ってくれた友人達と久しぶりの飲み会までして、とても楽しい時間でした。

あ、そうそう。今回の会場で某ビューティーコンテスト主催者から「出ませんか?」と声をかけられました〜。
耳馴染みのない言葉だったので、リアクションまでに数秒かかった(笑)
そちらも含めて、いい記念になりました♪

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ピンクリボン〜今闘う人に [癌と経過]

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2022/10/15  東京都内でピンクリボンのマルシェが開かれます。アデランスさんの協賛で、私もランウェイを歩くことになりました。
美魔女のランウェイもマルシェもありますので、お近くの方は是非おいでください。

私達サバイバーと呼ばれる人が華やかに着飾ってショーに出る。その事をどう思われるかはそれぞれの自由です。私自身、ガンになったことを良しとはしてはいません。でも発見してからの5年は、これまでのどの時期よりも残り時間を意識しました。その意識が、これからどの位続くか分からない人生を大きく動かしたことは事実です。

ご興味のある方は是非お運びください。

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寛解 [癌と経過]

手術から5年が経過した。三ヶ月ごとの触診、投薬、半年毎の精密検査。そしてようやく投薬が終わった。次の検診は半年後だ。
放射線治療も辛かった。マンモは痛かった。でも一番大変だったのはホルモン治療だった。
徐々に女性ホルモンが減少していくところを薬で強制的に抑え込む。最初の頃は、服用すると半日はだるさで身動きが取れなかった。手ゆびのこわばりや蕁麻疹に悩まされた。薬を替えて欲しいとお願いするも「再発率が上がりますよ。」と言われたら引き下がるしかない。そうしているうちに徐々に体が慣れてきた。それでも蕁麻疹は何度も出てくる。何より苛立ちがひどくなる一方だった。
自分のアルバムを作るのだと心に誓って、回復に努めて前向きに努力はしていた。CD制作後はコロナで身動きが取れなくなったものの、仕事を始めたことで張り合いもできた。それでも治療開始後4年目に入ると、自分でもわかるくらいのイライラをどうしようもなくなってきていた。
あれほど辛抱して続けていた薬が、その頃代わったのだ。それが原因かもしれないと担当医に伝えたが、投薬終了まであと少しの辛抱ということで、そのまま続行したのだった。
家族にも多大な気苦労をかけたことと思う。本当に、病気とは本人だけの問題ではないのだ。

そうして、最後の投薬が終わった。
飲み忘れた分も幾らかあったが、全て捨てた。
女性ホルモンを抑えた影響は戻らないだろう。それでも、薬の副作用はない。苛立ちも蕁麻疹も無くなった。家族とのやりとりも終始穏やかになった。
薬は怖い。でも、そのおかげで五年間再発なしに過ごせたのだ。
この五年間の経験はかなりのものだった。これまでのような生き急いだ日々ではなく、日々を楽しみながら興味のあることはどんどんと取り組んでいったのだから。ここからの生活は、用心しながらも大胆に楽しもうと思う。
次の検診は秋。多分もう大丈夫。

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薬が足らない!? [癌と経過]

つい先日、テレビのニュースで、薬が不足していると言っていた。
某医薬品メーカーの不祥事というか検査漏れというか検査不足というか、それとも検査未達?つまるところ、業務停止処分を受ける企業が相次いで、医療品市場に薬が行き渡らなくなったというもの。
その結果、薬局間でお薬の争奪戦が繰り広げられているという事です。

だから、私の飲み薬も変わったのか。なるほど、足らなくなったというわけだ。ドクターや薬剤師さんは「成分は同じですよ、全く変わりありませんが。」と言うのだが、これはそんな簡単なことではない。
同じ成分でも添加物がメーカーごとに違う。いわゆる「亀の甲」が同じでも、その他が違うと体に現れる反応が従前との差異を如実に表してくるのだ。

実は、少し前から身内に、何度も「おかしいよ」と言われていた。カリカリしている、攻撃的だ。更年期か?とも。
実は自分でも気がついていた。妙にイライラが止まらない。古い失敗を思い出してはひとり毒づいていた。これって、長引く例の禍でストレスが溜まっているのだろうか?お勤めは順調だ。問題はない。仕事が原因ではない。このご時世音楽はできないけれど、それはまたいずれ出来ることだから気にしていない。
それなら一体私に何が起こっているのか。

家族からまたおかしいと言われ、じっくりと振り返ってみた。すると、しばらく前に薬が変更されていた頃に焦点が当たった。ずっと強張りのあった手指が楽になったのと引き換えのように苛立ちが始まっていたのだ。
投薬説明書を読んでみた。イライラ、口の渇き、その他諸々。。。ビンゴ!

これか。これだったんだわ。

原因がわかればしめたもの。
家族には理由を話し、あとしばらく続きそうなのでと、接近禁止命令を出したww

対処療法である投薬の対処療法として接近禁止って面白いよね。笑い事じゃないんだけど。

まぁそんな感じで、薬が足らないといろんなところに迷惑がかかるわけです。
お金も大事だし、経営も大事だけれど、理念とかも大切にしてほしい。このような間違いを犯さないでいただきたいと切に願います。






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定期検診よもやま [癌と経過]

手術と放射線治療のあとも、定期的に検診がある。日によっては血液検査や骨密度の検査もあるが、概ね触診とその後の様子を尋ねられるだけだ。先日もそんな軽い一日で、受付を済ませて呼ばれるのを待っていると、診察を終えたオバ様が出てきた。

白髪ショートに赤い口紅、黒い服に黒基調のスカーフ。黒いパンツには銀のライン。ショルダーバッグは黒地に白の水玉。
オシャレだけどなかなかクセのある人だろう、と思ったら案の定。隣に座るなり

「あなた、手術した?」

「(ダイレクト過ぎて面食らう)はい。おたくもですか?」

「そう8月。2年で死ぬ。6割。」

話の流れからステージは1のようだ。1ならば五年後の生存率が約97パーセントなので、大丈夫でしょうと話す私を遮るように

「浸潤?全身に広がるわ。樹木希林と同じ。2年で死ぬの。あなたはいつ切ったの?」

「2年前ですが。」(ホントはもう2年半超え)

「あらそぉ?!…2年生きるんだ…。でも2年で死ぬわ!」

何を聞いているんだこの人は。

「放射線は受けられました?」

「今日で終わったの。最後だから多めに当てときますって。」

「あぁ、そうなんですか。それは出血大サービスですねぇ。」

もう何でも好きなように言って。

次回の予約日を連絡しにきたであろう職員さんは、マシンガントークに割って入る事が出来ず、巻き込まれてしまった。やっとの事で振り払うまでに何分くらい捕まっていたのだろう。ww

「断捨離した?死に支度。しとかなあかんよ!」

私は普段通りの暮らしを好きなように続けるし、私が消えたら全て捨ててくれて構わないので、と言おうにも口をはさむ間がない。会話はキャッチボール。これはドッチボール。一方的にぶつけられるばかり。

そうしているうちに、こちらの診察になった。(やっと解放される!)
女性は私の方をポンと叩いて

「じゃあ。しっかり!」

診察室に向かう私。長椅子に一人となったその人の輪郭に、なんとも言えない寄る辺無さを感じた。
…きっとこの人は心に不安を抱えているのだろうと思った。気丈な振る舞いとマシンガントークは、崩れそうになる心の外に硬い殻を作るためなのではないだろうか。

いいのです。不安のない人なんていません。素直に怖いと言うのもよし、そうしないのもよし。
ここに来る人は皆同じ。

二度と会うことはないであろう人に、背中越しに小さなエールをした日でした。










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何故 記そうと思ったのか [癌と経過]

 告知から経過観察に至る一連の流れは、ここまでです。

 告知によるショック、嘆き、怒り、感謝、悟り・・・誰もが通るという心理的ステップがあります。(参照 キューブラー・ロスによる五段階モデル)心理学の本に書かれているこういったことを、私は半年足らずで高速で通過したように思います。勿論、早期発見だったこと。それが、気持ち的にも体力的にも余裕をもって治療にあたれた最大の理由です。しかし、己の感情に振り回されないよう、普段から冷静沈着を心掛けていたことは、大いに役立ちました。それでも、買ったばかりの車をぶつけたけれど。(どこが冷静沈着だ)

 こうして記録しよう公表しようと思ったのは、お読みになっている方に未病がもしあるなら、早いうちに見つかってほしい。調べて早く見つけて、適切な対処をして欲しいと思ったからです。検査は怖いかもしれない、多少は痛いかもしれない。検査結果が出るまでは不安かもしれない。でも、病状が進んでしまったら元に戻すことは出来ません。時間は巻き戻せないのです。もし万が一、良くない反応が出ても、生存率の高い立ち位置で治療に臨んでいただきたいのです。

 ステージ1と分かった時「助かる可能性は高い」と思い、転移がなかったとわかった時「生きててよかった」と心から思いました。抗がん剤治療についてはいろんな意見があります。大変な苦しみを経験なさることも知っています。私には不要でしたが、もし受容体が見つかっていたら治療の拒否はしなかったでしょう。エビデンスは、適切な治療をした時の数値なのです。

 民間療法は私にはわかりません。採用したい人はすればいいし、そうでない人は無視すればいい。でも代替治療として採用するのは疑問です。西洋医学か東洋医学かどちらか一方、あるいは他を捨てて〇〇療法に絞る。ひとつを選んだら、他方は捨てなければならないようなものではないはず。

 ちょっとした選択、ちょっとしたタイミング。不思議な力を感じずにはいられないのですが、そのおかげで私は一つの関門を潜り抜けました。公表したおかげで「実は私も」とカミングアウトしてくださる方が大勢おられました。その方々とは、いろいろなお話が出来るようになりました。幼子がいきなり懐に飛び込むような感じで、温かく迎え入れて頂きました。今に至るまでそれは、決して同病相憐れむようなものではなく、近い経験をした人間が緩やかに繋がっているというものです。

 勿論、病についてこうして公表するのはいかがなものか、と最初は思っていました。何故なら私は幸運でしたから。早期発見、転移なし。受容体が限られていたこと、体が辛くても自力で生計を立てなければならないという事もない。子供たちは手を離れ、親の身を労わってくれるほど大人になっています。半世紀無事に生きて好きなこともしつつ、平穏無事に五十代を迎えられました。記した病気は見つかりましたが、エビデンスを見ても五年後これが原因で死ぬことはないでしょう。所謂ドラマチックな話は一切ありません。でも、それが普通なのです。生きる、暮らすという日常が波乱万丈だと疲れます。

日々、微調整を繰り返しながら健やかにお過ごしになります様に。そのためにも体のメンテナンスをおざなりになさいませんように。変化があればすぐ。変化を感じなくても定期的に検査を受けられることをお勧めします。

 お読みになっている皆様が、お健やかでありますように。

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最初の定期検診 [癌と経過]

 診察室に向かう時はいつも、敢えて階段を使う。前回来た時と、良くも悪くもどのくらい体調が違うものか、足取りで確認するためだ。
今日の足取りには力があった。順調に回復しているといえよう。
 受付の方に挨拶をする。
「おはようございます。」
「あ、もう一か月ですか?変わりないですか?」
「えぇ、ちょっと〇〇が〇〇でね。」
「あら。それは先生にお伝えしてくださいね。」
 診察室に入るやいなや、気になることを一気に訴えた。傷口のみではなく、放射線治療を受けた領域が結構な熱を持つこと。皮膚のかゆみが酷いこと。
 回答は明確だった。放射線を当てることによって、患部が火傷をしたようになっている。これにより汗腺がふさがって汗が出ない。発汗による体温調整ができないため、熱がこもるのだと。皮膚のかゆみは汗が出ないので乾燥するからということだった。
人間の体ってすごい!!
 体調の回復に合わせてウォーキングや軽い筋トレを始めていて、その後にひどくなるのが常だったので、説明を聞いてやっと腑に落ちた。納得すればこっちのもんというところで、一気に元気になった。現金なものである。
「皮膚は少しずつ良くなりますが、完全に元には戻りません。」と、申し訳なさそうにドクターが仰る。
「あ、それは全く気にしていません^^。原因が判ったらそれでいいんです。内的な要因があって発熱しているのではと、実は気が気じゃなかったんです。」

看護師さんから「冷やしてくださいね。あと、保湿も。」と指示を受けて、明るく「はーい」と返事をして帰ってきた。あとは日にち薬。よしよし。


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外科的治療から内科的治療へ [癌と経過]

 放射線治療は長丁場なので、途中で例えば風邪ひとつ引いても、治療は延期される。冬場など、インフルエンザにかかってしまい、長く休まざるを得ない方もおられると聞いた。季節柄、私は幸いにしてそういうこともなく、あるいは真夏で、身体に書かれたインクが汗で流れ落ちることもなく、スケジュール表通りに治療が終了した。

 乳腺外科の診察が再開したのは、最終治療日から2週間ほど間隔を置いてからで、上記のようなイレギュラーが起こった場合を想定して、予備日を加えてあるからだろう。スケジュールも含めてあれこれ考えられてあるのだなぁと、冷静に振り返ってみて静かに驚く。

 さて、ここからは女性ホルモン抑制の治療が始まる。
 飲み薬を今後五年間続けるというものだが、女性ホルモンの減少を促す治療は、しかし、骨粗しょう症になる可能性も高く、今日はその検査があるという。検査結果は患者にも渡して頂けるので、自分の状態が判るのはありがたい。今回の検査によると数値は正常範囲内で、加えて他のお薬を処方していただく必要はなかった。骨粗しょう症予防薬だか何だか、というものもあるそうで、いまや痒い所に手が届くのだと、ここでも静かに驚いた。

ひと月服用してから再度血液検査を受けた。こちらも異常なし。投薬による目立った影響もなく、このまま服用を続けながら定期的に診察を受ける生活に突入したわけだ。

 病院に行くことはここから先めっきりと減る。徐々に今までの生活が戻ってくるだろう。しかしながら、一旦は命の締切りを突き付けられたことを私は忘れてはいけないと思う。
 お薬は1日1錠。1年で365錠、5年で・・・。そのうち慣れますと言われても、まだまだ副作用のあれこれは身体に生じている。思うように動けない日。前日の分を取り戻すかのように、活気づいて活動する日。またまた寝込む日。波はあるが、少しずつ確かに回復している。薬が1つ減るごとに1日が終わるのを、ひとつの目安のように思う自分がいる。

 ステージ1、転移なし。
 早期発見による恩恵を受けたと思う。しかし、一瞬とはいえ命の締め切りを突き付けられたことは、私の大きな転機となるであろう。漠然とした希望を目の前にしながら、このまま掴み切れずに人生が終わってしまうのか。私は何をしてきたのだろう。もう手に入らないのか。流し台を前に悔し泣きした日を、私は忘れないようにしなければと思うのだ。 
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放射線治療 下旬 [癌と経過]

 四週目にもなり、残り日数が減るにつれて、疲労感の蓄積が目に見えるようになってきた。放射線医からは 「あともう少しですので頑張ってください。」と言われるのみ。わかってるんですそれ以外仰れないことは。でも問診は記録されているようなので、資料として後々残れば何かの足しになるかと思って「しんどいです~~」と言ってみる。普段泣き言を言わない私の、唯一甘えられる数分だった。

 照射の後半戦は「あと何回」と、一回一回を終えることが目標になるほど倦怠感は増していた。マジックで囲まれた照射部位は黒く変色し始めていた。健康的な日焼けとは無縁の薄黒い皮膚は熱を帯びるようになり、患部に当てた冷却剤はすぐに融けた。最低限の家事を、それも野菜を剥いては横になり、炒め物ひとつしてはソファに直行しながらこなした。夜の静けさのなかベッドで目を閉じていると、背骨がまるで流木の如くになり、深い波に飲み込まれていくような気さえした。(詩的だがこれは立場上仕方ない。こんな時も貪欲なのよ)

 そうして迎えた最終日。ダウンジャケットは薄い春のコートに変わっていた。お化粧をする気力はなかった。家を出る前に覗き込んだ鏡に映る自分の頬は、1㎝くらい力なく下がってみえた。一気に老人になったような顔に驚きを隠せなかったものの、今日で終了というのは飛び上がるほど嬉しかった。

その後少しずつ、薄紙を剥がすように体調は回復していった。

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放射線治療 中旬 [癌と経過]

 放射線科には、だいたい同じ時間に来るようにとの指示があった。照射室には一度に一人、十数分の時間がかかる。混みあわないようにという配慮だろう。
 毎日毎日同じ時間に行くと、待合室では同じように通院しておられる方と顔見知りになる。そのうち、言葉を交わす機会もうまれた。「あとどのくらいですか?」「私は今週で終わります。あなたは?」そんな程度でも、小さな空気抜けにはなった。なので出来るだけ声をかけるようにした。

「大丈夫ですよ。」と励ましてくださる人。
「お互いもうちょっとですね。」と励ましあえる人。
「全摘して乳房再生したいと言ったのに、温存と言われたんですよ!」と、まくし立てる人。

 それはそれはさまざまだった。こういう時に人柄が出るものだなぁ、それは病の程度には関わらないのだわ。みんな不安なのだ。私は、不安を表す人には、出来るだけ思いやりのある態度でいたいと思った。

 照射三週目ともなると、なんとなく横になる時間が増えてきた。病院に週5で通勤しているようなものなので、その疲れもあっただろうか。治療後のランチも買い物も億劫になり始め、さっさと家に帰るようになったのはこの頃からだ。
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