西日本豪雨そして奈良の治水

西日本豪雨の被災地の皆様にお見舞い申し上げます。
道路が寸断され、ライフラインはストップし、頼みの綱は自衛隊の方々と地元の繋がり、ボランティアという現実に苦言を呈したい。
「天が知ろしめす地の不穏」。どこの何が浮き足立っているのか。
私に出来ることは、僅かばかりの金銭を募金箱に入れる位だ。それも今では、何時どこ宛の募金をしたかが分からないようになっている。それほど災害が頻発しているのだ。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO3276942009072018LKC000/
こんな記事を見つけた。

かつて奈良には溜め池が多く存在したのだ。上水道が普及し、いつでも水が手に入るようになっても残っていた。
いつから消え始めたか。バブルの地価高騰であろう。山は切り崩され、溜め池は埋められ、新たな住宅地となった。
風景の変化を目にしては思ったものだ。あんな傾斜地に家を建てていいんだろうか。とか、ここはこの前まで池と田んぼだったはずで、大量の水分を含んでいるのに大丈夫か、とか。

人は自然の一部である。一部が全体に影響を与えることはあっても、支配することはできない。
溜め池は水不足に備えた昔からの知恵ではあるが、不足する水の供給源としてだけではなく、余った水の受け皿でもあったのだ。
バブルの爪痕の後始末。変わらない事を良しとしてきた奈良の、変化の後処理。
結局は、昔人の暮らしの知恵に戻る。
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