辻褄が合わない [采女]

福島県郡山市と奈良県奈良市が姉妹都市となったのは、両市に采女の物語があったから。
                     
奈良にあるのは、帝の寵愛が失せたことを嘆き、猿沢に身投げした采女のお話。
猿沢池は深度1メートルの人工池で、入水などできるはずがない。常々そう思っていた。お風呂でも溺れる場合はある?それはまた別。

姉妹都市にあるのは、中秋の名月に入水したと見せかけて、愛しい人の待つであろう故郷へ逃げ帰った安積媛の物語。
入水したと見せかけて逃げた采女の物語があるのなら、きっとその女性よ。猿沢の采女は安積媛に違いない!

そう仮説を立て、実証実験として歩き始めておよそひと月が経過した。もちろん同時に道のこと、采女こと、歴史のことと、いろんな方面の書物をよみ漁った。
そうして記録の類を突き合わせていくうちに、いろいろと不具合が出てきた。

時代が合わないのだ。

物語によると、安積媛は地方巡視をしていた葛城王によって都に来たという。税金が飢饉で納められない、しかしどうしても待ってもらえない。そんな折、機転のきく娘をいわば税の代わりに都に連れてきたのだ。
ところが、

722年 養老6年閏4月 陸奥の采女が廃された(続日本紀)。陸奥には福島県も含まれている。
749年 猿沢池ができる この池は人工池のため、成立年がわかる。
750年 葛城王 橘に改姓 52歳 これ以降、橘宿禰となる。橘諸兄である。

721年には、その前年度発生の隼人蝦夷反乱の兵役の負荷軽減対策として、陸奥と筑紫公民は一年間の庸調を免除された。税金を延滞する代わりに連れてこられたのが安積媛だとすると、721年以前となる。采女となる女性は年齢13以上30以下。721年当時最年少の13歳だったとしても、猿沢池のできた年には40歳を越えている。当時なら相当のおばあさんである。采女に任期がなかったとしても、採用年齢は過ぎて久しい。堂々と帰郷できた年齢だろうと思われる。今更逃避行をする意味など、私には考えられない。

これは、再検討の余地がある。

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