都〜都 その3 [采女]

バスの時刻表はざっくりと確かめた。時間帯によるものの、1時間に一本は走っている。大事なのは最終が何時何分かだ。それを逃したら、ちょっと笑えないことになる。1時間に歩ける距離をおおまかに見積もった。水は多めに持ったが、1、5リットルは重かった。コンビニはおろか自販機すら見当たらないので、念のためにと買ったペットボトル一本が足取りを重くした。

さて、恭仁京から紫香楽宮へのルートとしては、次のような経路を考えた。
口畑〜奥畑〜白栖〜前中〜原山〜湯船〜朝倉〜中野〜長野〜勅使〜宇田出〜久保出〜中牧〜黄瀬〜宮町

加茂駅から5号線経由で進む。
川を渡る。時折り車で訪れる農家カフェ「カントリーロード」はここだったのかと、歩いてみて初めて分かる地理におどろく。和束茶カフェで少し休憩する。コロナで喫茶店は閉店中。抹茶プリンを屋外で食べていると、外国語が聞こえてきた。若い女の子が三人ほど。この時期に外国人がいるなんて珍しいなと思いながら、再び歩き出す。何せバスが少ないのだ。ペースを乱すと面倒なことになりかねない。

和束茶カフェのすぐそば、茶畑になっている小山の上に安積親王の和束墓があった。案内板は生い茂った雑草の中にあった。
他所様の耕作地に足を踏み入れるのは気が引けたのと、バスの時間も気になっていた。まだ先がある。ここで疲れると後に響く。今回は見送ろう。

この墓に眠っている安積親王については、帰ってから調べてみた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%A9%8D%E8%A6%AA%E7%8E%8B
若くして脚気で亡くなったとされる親王が、橘諸兄の領地で埋葬されている。聖武天皇はこの王子に余り思い入れがなかったのだろうか。

ともあれ、このあたりは都を往復するのに使われた道のようだ。はっきり言って狭いし急だ。小山を上って降りて。ここを帝の輿を担いで昇り降りしたというのだろうか。大変な苦労だったろう。この小山にも集落はあって、ご老人の姿はちらりと見えた。この人の先祖の先祖の先祖からこの地に住んでいるのだろうか。曽祖父、いやもっともっと前のおじいさんは、天皇の行幸を目にしたのだろうか。

茶畑を上り、また下る。思ったより時間がかかる。ひたすら歩く。歩くだけでいいんだろうか。あと2、3のバス停分を歩けば今日の目的地だ。あと少しもう少し。早足でバスの時間を気にしながら先へ先へと足をすすめる。これでいいんだろうか。いや、只々急げばいい。私は今、采女が逃げた道筋を探っているんだから。でも。。。。
なんだか訳がわからなくなって来た時、それまで誰一人会わなかった道で人の、しかも集団を見かけた。
小学生らしき男子が二人、黒づくめの男性が二人、そしてご老人。なんだかワクワクした空気感があったので、声をかけてみた。
どうやら調査をしている方々のようだ。畑に雉の親子がいて、脚輪をつけようとしているらしい。

ここからあと暫く、急ぎ足でバス停に行っても面白くない。どのみちバスは折り返して来て、この前を通る。それならここでしばし珍しい捕物を見ていよう。おじいさんとなんやかや話しながら、雉が網にかかるのを見ていた。
ここは山の間の細い道筋で、他に道らしい道はない。おそらくここを都人が通ったのだろう。雉を捕る人の姿は、当時もあったかも知れない。当時は獲物として。

暫くするとバスが通り過ぎていった。私が乗ろうとしていたバス停から間も無く引き返して来るはずだ。おじいさんに、「あのバスに乗りますね、最寄りのバス停まで戻って待ちます。それじゃ。」と言うと、おじいさんは「行かんでええ。ここのバスは停留所以外でも停まる。わしが止めたる。」と言って、本当に止めてくれた。この人はもしかしたら、この辺りを仕切る豪族の長かもしれない。
その場にいた方みんなにお礼を述べて、私はバスに乗り込んだ。
本日の歩行距離14キロ。追手も怖いが雉も蛇も怖い。





nice!(3)  コメント(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント