都〜都 その5 (信楽〜紫香楽宮) [采女]

歩き始めてからこの日は4日目になる。時は六月の半ば。お天気の怪しい日が増えはじめた。曇り空は歩くには好都合なのだけれど、湿度の高い空気の重さが体にまとわりついて、足が重くなる。

これまで歩いただけでも、旧街道の多くが自動車道に取って代わられ、歩くのはかなり難しいことがはっきりした。今も残っている旧道はあるが、それは広くても軽四が二台ゆっくりとすれ違える程度の道幅しかない。地元に残っている高齢者は、もう外を歩くことも稀なようだ。
まあ、なんとかなるだろう。何とかはなる。道があれば歩けばよし、なければないと分かれば良いのだから。なにせ調べているのは遥か昔1300年前のこと。無くて当然と思えばなんてことはない。

信楽駅に着いた。信楽高原鉄道で起こった悲惨な事故は記憶に新しい。正直なところ、最初のうち、場所と事故が記憶の中でリンクしなかった。こんなのどかな所であんな事が起こり得るのだろうか、全く違う場所の話じゃないのか。
駐車場に車を入れる。そろそろ車で往復できる限界距離になってきた感がある。というのは、長距離を歩いた後、運転して帰るだけのエネルギーを残しておく必要があるから。決して無理はできない。帰り道で自分自身の電池が切れるのが怖い。

さあ、今日も歩こう。大きな紫香楽焼きの狸が聳え立つ信楽駅前から、本日は紫香楽宮跡を目指す。本日の予定距離は約6キロと短い。歩き始めた道はまさに旧街道だった。紫香楽宮に向かう帝の行列がここを通っていたという案内板があった。紫香楽宮は甲賀寺のあった場所で、帝は頻繁にこの地を訪れていたと聞く。勅使という名の駅があることからも、このあたりが帝にとって大事な地域だったと想像できる。が、よほどの思い入れがあったのか、最初はここに大仏建立を考えたらしい。しかし山火事が相次いでおこり、奈良に還都して金鐘寺(その後東大寺)に大仏を建てることにしたという。火事はおそらく敵勢力による放火だと言われている。さあ、誰かな〜。ドラマみたいにわかりやすい妨害をするものだ。

今日の予定距離は6キロ弱になる。体力は温存できそうだし、ゆっくり甲賀寺跡を見学できるかなと思ったのも束の間、シトシトと雨が降り始めた。梅雨入りしたみたいだ。集落内の安全な小道でレインポンチョを被り、トラックの通る大通り脇を歩き続ける。安全のためにはもっと派手な色にした方が良かった。俯き加減で進んでいくと右斜め前方に駅の吊り標識が見えた。と同時に、前方から赤い高原鉄道電車が向かってくる。これを逃すと、雨の無人駅で一人1時間過ごさねばならないのか?紫香楽宮は?甲賀寺は?もういい!
帝が足繁く通いながらも、意に反して捨てた都、紫香楽宮。私は行く前に捨ててしまった笑

天皇付きの采女なら、おそらく何度か来たことだろう。道はわかっていただろう。平城宮から恭仁京まで14キロ。恭仁京から紫香楽宮は34キロ。私でも歩いてこれる距離だから、采女一人でここまでは来れただろう。滑り込んできた電車に飛び乗り、信楽駅まであっという間に戻る。本日の歩行5、6キロ。
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