加佐登〜四日市 [采女]

電車と車を併用して少しずつ距離を伸ばしてきた。前回の終了駅に車を停めて歩く。駐車場まで電車で引き返し、車で帰る。しかしながら、ここまで自宅から離れてしまうようと、流石に運転が辛くなってきた。既に片道100キロを越えた。もうこの戦略は使えない。さて、ここから先はどうしよう。

よし、発想を変えて逆走しよう。四日市から奈良を向いて歩いてみよう。四日市駅まで近鉄特急で行き、街道を使って戻ってくるのだ。東を向くか西を向くかの違いだもの。道程が繋がればよし。

特急に乗ると、親子連れがすぐ前の席にいた。若い母親が、あたり構わず車内を触る幼児にヒステリーを起こす。触っちゃちゃダメと言ったところで、子供が聞くもんですか。アルコールスプレーをもっているんだから、先に子供の触りそうな場所を拭いたらどうなんだろう。二度ほど背もたれを叩いて抗議したが、母親のヒステリーは増すばかり。父親は何も言わず。不愉快なので席を移動した。やれやれだ。

さて、街道をできるだけ通るのが目的の一つだったが、大抵は侘しく消え失せていた。加茂、紫香楽、甲賀、柘植。旧道の多くは人の通れない高速道路になっていた。旧それに比べて旧東海道のなんと歩きやすいことよ。さすが、現役の道だわ。大通りからは一本離れている場合もあるけれど、ちゃんと今も存在している。
道が消えたということは、言い換えれば捨て置かれた地域ということなのだろう。悲しいけれど。

四日市駅に降り立ったのが結構遅かったので、すぐにお昼時になった。泊町の「ひでの家」で焼き魚定食を注文した。お店の老婦人としばし談笑。畳の縁で作ったというカードケースをいただいた。あれこれ道を教えてくださったおかげで、無事に杖衝坂も越えられた。本当に杖をついていても転がりそうな急斜面で、知らずに行ったら焦ったところだった。

絶対に外せなかったのが「采女一里塚」を通過すること。采女町という名が残っているのは、采女を多く輩出する地域だったからのようだ。今やガソリンスタンドの一角に埋もれるように石の塚を残すのみだったが、私には嬉しかった。

猿沢では寵愛を失った悲劇の女官。この地では誇らしい職業婦人なのだ。 昼を過ぎて太陽が傾き始めた。西に向かって歩く私の顔を夕陽が射る。辛くなってきた。最寄駅はどこだ。もう一駅先までは歩けそうにない。足を引きずる様に歩いていると加佐登駅が右手に見えてきた。1時間に一本の電車が来るかもしれない。目の前でそれを逃したら、ここで1時間待たなければいけない。ストックを短く持ち、畑の間を走り、北側にしか出入り口がないことに焦りまくりながら構内に駆け込んだ。 今日はここまで。歩行距離 16、4キロ。
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