猿沢の采女「安積媛」説 検証結果 [采女]

猿沢池は、興福寺境内にある放生池だ。水深は1メートルときく。歩いて向こう岸に渡れるくらい。でもここで入水したというのだから、何かはあったのだろう。水に入っていく姿を見たとか或いは入ったような形跡があったとか。実際に采女の遺体が上がったとか。

入水前に衣を柳に掛けたという一説もある。が、今ある柳は後の時代の植樹によるものだけどね。もしかしたら衣を残して死んだふりをして逃げたとも考えられる。死んだと見做されたら、追っ手はこないだろう。
そんな中、出会ったのが安積媛だった。きっとこの人だ。入水したと見せかけて恋人の元に走ったのよ。

私は、外から内からルンルンと調査を開始した。女性の足で700キロメートル歩けるか。当時の道は?橋は?宿は?研究とはこういうことかと初めて知った。勉強とは違う楽しさだった。

先ずは目的地までの10分の1程度を歩いてみ田。歩けなくはないが厳しいことを実感した。梅雨で歩けない間には、四日市から先への道を考えた。川はどうやって越えよう。租庸調の人流が途絶える頃に橋の修理が行われたというから、もしかしたら橋全般が渡れなかったかも知れない。ここから先は、川止めのない東山道をとったほうがいいだろう。

ところが、図書館で史実を突き合わせているうちに、自身の立てた仮説の答えが出てしまった。
安積媛は猿沢の采女ではない。
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