采女は誰〜再考〜 [采女]

ふりだしに戻ったものの、これはこれで良しと思える。無駄足だったとは感じなかった。エジソンが竹フィラメントにたどり着くまでの実験同様と思えば良い。これでは出来ないとかこれは違うとか、そういう事がわかればそれは成果なのよ。いろんな情報を一つ一つ確かめて潰していく。そして浮かび上がってくものがいくら奇っ怪であっても、それが真実なんだ。

ふたたび、猿沢池のほとりに立ってみた。

スターバックスがあり、采女神社があり、ライオンズクラブの寄贈による采女祭りの石碑が置かれている。池を覗き込むと、薄青い水の下に白っぽい石が見える。手を伸ばせば底に触れそうな浅さだ。
やっぱり入水は無理よ。水深1メートルって、小学校のプール並みよ。

「わぎもこが 寝くたれ髪を猿沢の 池の玉藻と見るぞ悲しき」
と柿本人麻呂が詠んだ歌に、帝(平城天皇)

「猿沢の池もつらしな 我妹子が 玉もかづかば水もひなまし」
と返されたという。

でも、ここに出てくる柿本人麻呂は660年ごろの生まれで724年没とされる。
平城天皇の父君、桓武天皇(737〜806)ですら誕生されていないのに、誰と誰が何処の歌を詠んだって?

これは大和物語の一節らしい。つまりは小説の一部だ。
あまりに切ないお歌なので、ついついその世界に入ってしまいそうになる。でもこれはお話。
つまりは、柿本人麻呂はこの歌を詠んではいないし、平城帝も返歌を作ってはいないのでした。

ん?
平城京。平安京。
采女を寵愛した帝。
猿沢池のほとりの神社。

もしかしたら、私は違う方向を見ていたんじゃないか。
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