奈良時代の疫病をば少しばかり [考察]

奈良生まれ奈良育ちの私、奈良時代に大流行した天然痘について少しばかり調べてみた。なんせすぐそこに今でいう東京、当時の政治の中枢平城京があり、当時の帝である聖武天皇が、疫病退散の祈りをこめて建造された東大寺の盧舎那仏もあるわけですから。
とはいえ、これまでは、平城京は凧揚げできる野原であり、大仏殿は小学校の頃に校外学習で行ったり、外国人の知り合いを案内する場であったくらいで。

この、奈良時代735年半ばに広がり日本という国を変革させる事にもなった天然痘は、コロナが世界中に広がって以来よく比較対照されるスペイン風邪より、ある意味実感をともなって理解できるわけです。

そんなこともあって調べ始めたら、いやぁ、止まらない止まらない。私的にはウイズコロナでもアフターコロナでもなく、これからの人生に大きな影響を与えるであろう、いわば「コロナシフト」になりそうなのです。(この言葉、言い出しっぺとして記録しておきます。)

で、以下。

年表

735年8月頃、九州北部で天然痘が流行し始め、太宰府が管内住民に対する税の免除を朝廷に要請し、許可される。

翌736年4月遣新羅使の使節団が感染
    6月 平城京で大流行、政務停止。この時、権力の限りを尽くしていた藤原四子が相次いで亡くなる。
    8月税免除対象が全国に広がる。

737年 天然痘関連情報探し中。

738年1月 ほぼ終息。 
      当時の総人口の25から35%にあたる100〜150万人が死亡。農民の死亡逃亡により収穫量激減、飢饉が起こる。

感染が確認されてから終息まで2年半。
朝廷の対応?後手後手に回っていたらしい。

なお、大仏鋳造の詔はこれより後の743年で、開眼供養はもっと後の752年。その間に聖武天皇は遷都遷都、そして突然譲位されると言う。。。


いやぁ、ここまで調べるだけでもなかなか面白かった。学校教育のよくない点は、年号が暗記物の域を出ないことで、いわゆる受験用武器の一つになってしまっていることだろう。こうして並べてみると、因果がちゃんと揃っている。年号は無味乾燥の数字ではないのだ。

と言うわけで、今日のところはここまで。音楽活動、長距離移動が制限されている間に新しく始めた事があり、そちらの方も面白いことになりそうです。新しいコーナーとして進めて行こうかなと思っています。それではまた。

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ゾクゾク [素語録]

体の中で不規則に異物がうごめく。内臓がゾワゾワする。発熱するよ始まるよ、と体が狼煙を上げ始める。
実はこの1週間寝込んでいたのでありました。
病院の健康診断から数日後だったので、何かもらってきたのかしらと思う。
幸い咳もなく息苦しいこともなく、緩やかに復活中です。

最近の風邪の治し方。
発熱は体と細菌やウイルスが闘っている証拠。
なので、水分はたっぷり摂って、余計な事を考えず横になる。本も読まない音楽も聴かない。呼吸に集中して眠りに落ちる。
頭を使うと酸素の消費量が増えるのですよ。脳味噌はエネルギーを多量に消費するので、酸素も大量に必要になるのです。一度呼吸を整えてから息を止めてください。頭に浮かんでくる様々な物事をただ傍観するのです。苦しくなってきたら、鼻から少しまた少し息を吐き出す。それだけで楽になります。ところが何かのきっかけで物事に引っ掛かりを生じさせると一気に苦しくなる。つまりは、ものを考えると体の回復に充てるエネルギーが減る。なので、病気と戦う時には何も考えないほうがいいのです。まぁ、熱があると考えよと言っても無理な話だけれど。


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