器用貧乏いま昔 [考察]

これまでのお勤めは、正社員にせよアルバイトにせよ、仕事量が極端に多い部署に配属になることが多かった。支店で採用されたのに本社勤務に回されるケースもあった。短時間アルバイトなのにフルタイム正社員の代替要員の時は、つまり同時間当たりの仕事量が4倍くらい。ヘトヘトになりながらもこなしていた。こんな所で負けん気を出す必要はないのに、である。
思えば、顧客のニーズに最短で応えているつもりで、じつは企業側のニーズに最高のパフォーマンスで応じていたわけだ。自分自身に対する根性や負けん気ならまだしも、会社へのそれは雇い主にとって美味しいだけなのに。真面目で言われた事は能力値の最大をもってキチンとこなす。2人分以上の仕事を1人で出来る私ってスゴい!、、、甘いワタシ。
また、難儀な事に、仕事すればする程より高いものを求められるようなるのだ。これもして、あれもしてと依頼が増える。「ちょっとこれ以上は無理です。」「やってもらわないと困る(シノゴの言わずやれ)。」そして疲弊して「辞めます。」になる。折角覚えた仕事、折角教えた仕事。長く仕事する事はお互いの利益になるのに、環境改善されることはない。また誰か来てまた辞めるのだろう。

ある日、やはり忙しい職場で、他の誰も対応できない仕事が舞い込んだ。上司は、私がその業務にあたる時は一切の通常業務を別の社員さんに指示した。結果、顧客からは感謝され上司から一目置かれ、私は満足度の高い勤務時間を過ごせた。

目の前が開けた気がした。

私が特にその能力に優れていたわけではない。その場に出来る人が誰も居なかったに過ぎない。また、その能力がいくら高くてもその職場には必要はない。その勤務先では滅多にない業務なので、それだけのために在籍させておく必要はないのだけれど、誰も居ないとちょっと困る。そこに私がたまたま居た。稀だったおかげで業務が重加算労働にはならず、アドバンテージになったのだ。

過去には、いろんな事が高水準でこなせる人は「器用貧乏」と言われた。何でも出来るのにどの道も極められない人だと。常識は変わった。この時代、いろんな力をそこそこ以上のレベルで持っている人間が生き残りやすいのだ。ホリエモンの『多動力』でも投げかけられている、一点集中よりも興味の対象にいろいろ関わって楽しめる人間が求められる。

ただ、仕事を選び、望まない仕事に就かないでいられるだけの余裕は必要よね。
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