立ち止まっているのは [ゆり栗毛]

歩き始めた理由

奈良市の姉妹都市に福島の郡山市があります。両市に采女物語があって、その御縁だそうです。
猿沢の采女は入水して完結。郡山の安積采女は、入水したと見せかけて故郷に逃げ帰った。(後日談。国に置いてきた恋人はとうに亡くなっていて、悲観した采女は恋人の入水した渕に身を投げた)

…ホンマかいな。

疑問が湧いたら調べる。
奈良から旧街道を歩き始めたのは、その実験として、でした。采女が都から逃げたのだとしたら、どこをどう進んだのだろうと。
旧街道の多くは消えていたり、自動車道になっていたりします。なるべく旧街道を選びながら、四日市市まで歩いたところで脚がストップしてしまっています。

郡山の安積采女は、税金の代わりに平城京に連れて来られたといいます。この職業にはさまざま規定があり、奈良に来た時の年齢は凡そ推察できます。連れてきた人は「葛城王」と記録があります。あの有名な橘諸兄ですって。猿沢池は放生池なので、造成年はわかっています。ということは、安積采女は入水時にはすでに四十代。

…奈良時代のアラフォー女性が、猿沢に身を投げたと見せかけて、故郷までの650kmを逃げ帰ったとですか。
(あぁ、思わず訛ってしまった。)

無理すぎる。これはないわ〜。

早々と結論見たり、というところでしょうか。これを機に東へ向かう脚が止まってしまったのです。

年貢として人質として都に向けて歩き始めたとしても、それは多分中山道だったでしょう。古代日本でよく利用されていたのは東海道ではなく中山道(東山道)だったらしいから。なので、このあとは道は変わります。或いは郡山市から南下しようかな。

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