采女神社 [采女]

采女神社について。
和英ガイド本によると「9世紀の初めに天皇に恋をした一人の女官が(平城)天皇の寵愛を失くしたと思い、嘆いて猿沢池に身を投げて自殺をした。」(一部抜粋)とある。
史実から絞り込んでいった帝の名が、既にここに書いてあったというわけか。ちょっと遠回りした感が無くはないが、まあいい。桓武天皇についての調査は後程ということにして、次は平城天皇について知ろうと思う。勿論だが、ガイド記載の(平城)天皇云々の根拠も探さないと。何事も鵜呑みにしてはいけない。というのは、前述の柿本人麻呂の件があるから。

公益社団法人 奈良市観光協会のホームページは以下の通り。
https://narashikanko.or.jp/spot/shrine/uneme-jinja/

お読みいただいたらわかるように、ここでは「『大和物語』によると」と書かれている。
物語なのに、その内容を神社建立の根拠のように示すというのはかなり疑問がある。良いのかなそんなこと書いて。
とはいうものの、大和物語を元にして興福寺境内に神社を建てる、というようなことはあるまい。
一体この神社、誰が建てたの?いつ建てたの?

どうやらこの神社、藤原良世公卿(823〜900)の建立らしい。ほら、面白くなってきましたよ。この方、平安時代のお生まれ。それなのになんで、平城天皇に捨てられて嘆き悲しんだ采女を祀っていることになっているんだろう。

ところで、平城天皇ってどんな方?


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