1400年後の世界 [采女]

現代の研究者によると、薬子の変は寵姫とその兄によるクーデターではなく、兄弟間の権力闘争だったという見解になっている。それでもなお、退位した平城太上天皇によって引き起こされたものとして「平城太上天皇の変」とはなんぞや。時の権力者である嵯峨天皇の名を冠してしまうと、正当な手続の元で行なわれた皇位継承にも影を落とすからだろう。いっそのこと「乙巳の変」と名を変えた「大化の改新」のように、「大同の変」とかなんとかにすれば良いのかも。あっちにもこっちにも顔が立つしw

ともかくも、もう令和の時代である。810年の内乱を冷静に歴史判断するだけの時間は、充分に経過したとして良いのではなかろうか。名も知れぬ采女に本来の名前を戻し、一千年以上の沈黙に光を当てて慰めても良いのではないか。
中秋の名月の夜、池に舟を浮かべて御霊を慰めるのもいい。が、自死を選ばされた人の真実を、そろそろ明らかにして差し上げてもいい頃ではないか。

昭和、平成、令和。
それは、およそ薬子の変が起こってから、良世が神社を建てるまでと同じだけの時間だ。時代の流れは加速するばかり。価値観も常識も、全くといっていいほど様変わりをしている。
大同年間の大事件。薬子の変と、誰かが起こしたと記す必要はもうないだろう。
勝者によって歪められたり削られたりした歴史を、令和で明らかにできたらと切に願う。


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