10月29日は二本立て [スケジュール]

10月最後の日曜日は、ライブ二本立てです。
先ずは、「富雄フォークジャンボリー」奈良市 富雄駅徒歩2分にあります「Bar2nd」が会場です。出演者並びに出演時間は以下の通り。 チャージ200円


14:00 14:30  YURI OKAMURA
14:35 15:05  西村結生
15:10 15:40  RIKEN
15:45 16:15  ハルパ
16:20 17:00  瑞織
17:05 17:40  ナンシー
17:45 18:20  屋根裏
18:25 19:00  TOSINORI WATANABE
19:05 19:40  落合謙司
19:45 20:20  ハッピーエレファント
20:25 21:00  籏野ヒロキ
21:05     終わる迄 吉川& SAY ※ ゲスト有り
私は一番バッターで歌わせていただきます。
皆様にも歌っていただけるよう、ちょっとした仕込みがありますので、乞うご期待。

そして、続きましては先日ご紹介したこの↓コンサート。
bigband.jpg
こちらはドレスなんか着ちゃったりしてww
夜の8時より出演です.
どうぞお楽しみに。祈るは台風が避けてくれることだけ。

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最初の定期検診 [癌と経過]

 診察室に向かう時はいつも、敢えて階段を使う。前回来た時と、良くも悪くもどのくらい体調が違うものか、足取りで確認するためだ。
今日の足取りには力があった。順調に回復しているといえよう。
 受付の方に挨拶をする。
「おはようございます。」
「あ、もう一か月ですか?変わりないですか?」
「えぇ、ちょっと〇〇が〇〇でね。」
「あら。それは先生にお伝えしてくださいね。」
 診察室に入るやいなや、気になることを一気に訴えた。傷口のみではなく、放射線治療を受けた領域が結構な熱を持つこと。皮膚のかゆみが酷いこと。
 回答は明確だった。放射線を当てることによって、患部が火傷をしたようになっている。これにより汗腺がふさがって汗が出ない。発汗による体温調整ができないため、熱がこもるのだと。皮膚のかゆみは汗が出ないので乾燥するからということだった。
人間の体ってすごい!!
 体調の回復に合わせてウォーキングや軽い筋トレを始めていて、その後にひどくなるのが常だったので、説明を聞いてやっと腑に落ちた。納得すればこっちのもんというところで、一気に元気になった。現金なものである。
「皮膚は少しずつ良くなりますが、完全に元には戻りません。」と、申し訳なさそうにドクターが仰る。
「あ、それは全く気にしていません^^。原因が判ったらそれでいいんです。内的な要因があって発熱しているのではと、実は気が気じゃなかったんです。」

看護師さんから「冷やしてくださいね。あと、保湿も。」と指示を受けて、明るく「はーい」と返事をして帰ってきた。あとは日にち薬。よしよし。


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ライブご案内 [スケジュール]

京都のビッグバンド「ニュー・シャープ・ハード オーケストラ」が出演します。私も歌います。
沢山の方にお聴きいただけますように。 無料

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外科的治療から内科的治療へ [癌と経過]

 放射線治療は長丁場なので、途中で例えば風邪ひとつ引いても、治療は延期される。冬場など、インフルエンザにかかってしまい、長く休まざるを得ない方もおられると聞いた。季節柄、私は幸いにしてそういうこともなく、あるいは真夏で、身体に書かれたインクが汗で流れ落ちることもなく、スケジュール表通りに治療が終了した。

 乳腺外科の診察が再開したのは、最終治療日から2週間ほど間隔を置いてからで、上記のようなイレギュラーが起こった場合を想定して、予備日を加えてあるからだろう。スケジュールも含めてあれこれ考えられてあるのだなぁと、冷静に振り返ってみて静かに驚く。

 さて、ここからは女性ホルモン抑制の治療が始まる。
 飲み薬を今後五年間続けるというものだが、女性ホルモンの減少を促す治療は、しかし、骨粗しょう症になる可能性も高く、今日はその検査があるという。検査結果は患者にも渡して頂けるので、自分の状態が判るのはありがたい。今回の検査によると数値は正常範囲内で、加えて他のお薬を処方していただく必要はなかった。骨粗しょう症予防薬だか何だか、というものもあるそうで、いまや痒い所に手が届くのだと、ここでも静かに驚いた。

ひと月服用してから再度血液検査を受けた。こちらも異常なし。投薬による目立った影響もなく、このまま服用を続けながら定期的に診察を受ける生活に突入したわけだ。

 病院に行くことはここから先めっきりと減る。徐々に今までの生活が戻ってくるだろう。しかしながら、一旦は命の締切りを突き付けられたことを私は忘れてはいけないと思う。
 お薬は1日1錠。1年で365錠、5年で・・・。そのうち慣れますと言われても、まだまだ副作用のあれこれは身体に生じている。思うように動けない日。前日の分を取り戻すかのように、活気づいて活動する日。またまた寝込む日。波はあるが、少しずつ確かに回復している。薬が1つ減るごとに1日が終わるのを、ひとつの目安のように思う自分がいる。

 ステージ1、転移なし。
 早期発見による恩恵を受けたと思う。しかし、一瞬とはいえ命の締め切りを突き付けられたことは、私の大きな転機となるであろう。漠然とした希望を目の前にしながら、このまま掴み切れずに人生が終わってしまうのか。私は何をしてきたのだろう。もう手に入らないのか。流し台を前に悔し泣きした日を、私は忘れないようにしなければと思うのだ。 
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放射線治療 下旬 [癌と経過]

 四週目にもなり、残り日数が減るにつれて、疲労感の蓄積が目に見えるようになってきた。放射線医からは 「あともう少しですので頑張ってください。」と言われるのみ。わかってるんですそれ以外仰れないことは。でも問診は記録されているようなので、資料として後々残れば何かの足しになるかと思って「しんどいです~~」と言ってみる。普段泣き言を言わない私の、唯一甘えられる数分だった。

 照射の後半戦は「あと何回」と、一回一回を終えることが目標になるほど倦怠感は増していた。マジックで囲まれた照射部位は黒く変色し始めていた。健康的な日焼けとは無縁の薄黒い皮膚は熱を帯びるようになり、患部に当てた冷却剤はすぐに融けた。最低限の家事を、それも野菜を剥いては横になり、炒め物ひとつしてはソファに直行しながらこなした。夜の静けさのなかベッドで目を閉じていると、背骨がまるで流木の如くになり、深い波に飲み込まれていくような気さえした。(詩的だがこれは立場上仕方ない。こんな時も貪欲なのよ)

 そうして迎えた最終日。ダウンジャケットは薄い春のコートに変わっていた。お化粧をする気力はなかった。家を出る前に覗き込んだ鏡に映る自分の頬は、1㎝くらい力なく下がってみえた。一気に老人になったような顔に驚きを隠せなかったものの、今日で終了というのは飛び上がるほど嬉しかった。

その後少しずつ、薄紙を剥がすように体調は回復していった。

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