寛解 [癌と経過]
手術から5年が経過した。三ヶ月ごとの触診、投薬、半年毎の精密検査。そしてようやく投薬が終わった。次の検診は半年後だ。
放射線治療も辛かった。マンモは痛かった。でも一番大変だったのはホルモン治療だった。
徐々に女性ホルモンが減少していくところを薬で強制的に抑え込む。最初の頃は、服用すると半日はだるさで身動きが取れなかった。手ゆびのこわばりや蕁麻疹に悩まされた。薬を替えて欲しいとお願いするも「再発率が上がりますよ。」と言われたら引き下がるしかない。そうしているうちに徐々に体が慣れてきた。それでも蕁麻疹は何度も出てくる。何より苛立ちがひどくなる一方だった。
自分のアルバムを作るのだと心に誓って、回復に努めて前向きに努力はしていた。CD制作後はコロナで身動きが取れなくなったものの、仕事を始めたことで張り合いもできた。それでも治療開始後4年目に入ると、自分でもわかるくらいのイライラをどうしようもなくなってきていた。
あれほど辛抱して続けていた薬が、その頃代わったのだ。それが原因かもしれないと担当医に伝えたが、投薬終了まであと少しの辛抱ということで、そのまま続行したのだった。
家族にも多大な気苦労をかけたことと思う。本当に、病気とは本人だけの問題ではないのだ。
そうして、最後の投薬が終わった。
飲み忘れた分も幾らかあったが、全て捨てた。
女性ホルモンを抑えた影響は戻らないだろう。それでも、薬の副作用はない。苛立ちも蕁麻疹も無くなった。家族とのやりとりも終始穏やかになった。
薬は怖い。でも、そのおかげで五年間再発なしに過ごせたのだ。
この五年間の経験はかなりのものだった。これまでのような生き急いだ日々ではなく、日々を楽しみながら興味のあることはどんどんと取り組んでいったのだから。ここからの生活は、用心しながらも大胆に楽しもうと思う。
次の検診は秋。多分もう大丈夫。
放射線治療も辛かった。マンモは痛かった。でも一番大変だったのはホルモン治療だった。
徐々に女性ホルモンが減少していくところを薬で強制的に抑え込む。最初の頃は、服用すると半日はだるさで身動きが取れなかった。手ゆびのこわばりや蕁麻疹に悩まされた。薬を替えて欲しいとお願いするも「再発率が上がりますよ。」と言われたら引き下がるしかない。そうしているうちに徐々に体が慣れてきた。それでも蕁麻疹は何度も出てくる。何より苛立ちがひどくなる一方だった。
自分のアルバムを作るのだと心に誓って、回復に努めて前向きに努力はしていた。CD制作後はコロナで身動きが取れなくなったものの、仕事を始めたことで張り合いもできた。それでも治療開始後4年目に入ると、自分でもわかるくらいのイライラをどうしようもなくなってきていた。
あれほど辛抱して続けていた薬が、その頃代わったのだ。それが原因かもしれないと担当医に伝えたが、投薬終了まであと少しの辛抱ということで、そのまま続行したのだった。
家族にも多大な気苦労をかけたことと思う。本当に、病気とは本人だけの問題ではないのだ。
そうして、最後の投薬が終わった。
飲み忘れた分も幾らかあったが、全て捨てた。
女性ホルモンを抑えた影響は戻らないだろう。それでも、薬の副作用はない。苛立ちも蕁麻疹も無くなった。家族とのやりとりも終始穏やかになった。
薬は怖い。でも、そのおかげで五年間再発なしに過ごせたのだ。
この五年間の経験はかなりのものだった。これまでのような生き急いだ日々ではなく、日々を楽しみながら興味のあることはどんどんと取り組んでいったのだから。ここからの生活は、用心しながらも大胆に楽しもうと思う。
次の検診は秋。多分もう大丈夫。
朝ご飯をゆっくりと [日々徒然]
子育てに勉強に仕事に追われていた頃は、朝食をゆっくり摂る心の余裕がなかった。家族分のお弁当におかずを詰めて、残りを口に入れる。あるいはパンをコーヒーで流し込んでいた。
常に生き急いでいた。する事が多すぎて。
常に生き急いでいた。する事が多すぎて。
でも、あの日々があったからこそ今がある。
今も仕事の日はバタバタするけれど、オフの日は二人でゆっくり朝食をとるようになった。
朝にタンパク質を摂ると体の安定感が違うのがわかるし、果物が体をシャンとさせる。カフェインは珈琲がいい。
目玉焼き2個は多すぎたw
ものづくり〜革の鞄編 [日々徒然]
白昼の惨劇 [独り言]
白昼の凶行に誰もが声をあげた。
安倍晋三元首相が、我が町で凶弾に倒れた。
なんということだ。
沢山の個人カメラと報道陣の目の前で。
凶行が行われたこの場所は駅前の三叉路。ハブ駅でデパートもあるため、人通りが多い。なので街頭演説の多くがここで陣をとる。
今回の選挙戦が始まって間もなくだった。デパートに行った帰り道、ある党が演説準備をしていた。私は駅に行きたい。なので、選挙カーのすぐ脇を通ることにした。マッチョなSPさんに怒られるかもと思いながら、歩いていたが、
ここよりもっと近くを歩いても、制止されることはなかった。
正直なところ、この危機管理体制で大丈夫なのかと、うっすらとした不安を抱いた。
案の定だった。
置引きすら稀な奈良の地で、政府の要人が路上で凶行に倒れるという、世界中に流れる程の大事件が起こってしまった。
この事によって、様々な方面に波紋が広がるだろう。不問に処せられることもあれば、新たな石が投げ込まれる事にもなろう。
私のような者は、ただただ遠くから見ているしかないが、その変化のきっかけになるであろう大事件が、通い慣れた場所で起こったことに、何とも言えない気持ちになっている。
あらためて、ご冥福をお祈りいたします。
安倍晋三元首相が、我が町で凶弾に倒れた。
なんということだ。
沢山の個人カメラと報道陣の目の前で。
凶行が行われたこの場所は駅前の三叉路。ハブ駅でデパートもあるため、人通りが多い。なので街頭演説の多くがここで陣をとる。
今回の選挙戦が始まって間もなくだった。デパートに行った帰り道、ある党が演説準備をしていた。私は駅に行きたい。なので、選挙カーのすぐ脇を通ることにした。マッチョなSPさんに怒られるかもと思いながら、歩いていたが、
ここよりもっと近くを歩いても、制止されることはなかった。
正直なところ、この危機管理体制で大丈夫なのかと、うっすらとした不安を抱いた。
案の定だった。
置引きすら稀な奈良の地で、政府の要人が路上で凶行に倒れるという、世界中に流れる程の大事件が起こってしまった。
この事によって、様々な方面に波紋が広がるだろう。不問に処せられることもあれば、新たな石が投げ込まれる事にもなろう。
私のような者は、ただただ遠くから見ているしかないが、その変化のきっかけになるであろう大事件が、通い慣れた場所で起こったことに、何とも言えない気持ちになっている。
あらためて、ご冥福をお祈りいたします。
たぬきじゃなくて? [ぶらぶら]
スマホから載せると写真がコケル。
道路脇の温度計ガーデニング40℃を示す今日、所用で信楽へ。そう、あの狸の置物で有名な信楽です。
用事を済ませてから陶芸館に行き、一目惚れした食器と共に帰宅途中、道に迷ってしまいました。新しい道が次々とできていて、旧バージョンのナビがついていけない。
脇道に迷い込み、ふと前方を見ると「熊出没注意」の看板が。